| 桜地区指定史跡21ヶ所 の 概略 (史跡名をクリックすると該当ページが開きます) |
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| NO | 史跡名称 | 概 略 |
| 1 | 釣谷林道 | 昭和10年、桜村青年団が林道の拡張工事に汗を流した記念の碑。 |
| 2 | 弁天様と山の神 | 江戸末期の1850年、桜町西区乾谷(いんだに)の溜池「大谷池・通称弁天池」の守り神として祀られた「弁天様」、そして民間信仰「山の神」は、現在乾谷公会所の敷地内に鎮座します。 |
| 3 | 金刀比羅宮 | 昭和10年建立。信仰深い村人が近隣の人々と共に金刀比羅さんをお祀りしました。 |
| 4 | 宝木院七福寺 | 昭和56年建立。個人の造営により七福神など50数体の神仏が祀られています。 |
| 5 | 経塚と経塚山 | 経塚は書写したお経を経筒に入れて埋めた所。安正寺所有地で教尊法師の墓とも言われています。 |
| 6 | 教尊法師の碑 | 1461年、近江国から桜の地へ来て山上(やまじょう)に居を構え、浄土真宗の布教に努めた教尊法師の記念碑。 教尊は智積町の西勝寺、桜町の安正寺、平尾町の福泉寺、津市芸濃町椋本の存仁寺の開基となる。 |
| 7 | 八幡神社と山の神 | 創建年代不祥。山上の人々の氏神様とも言うべき八幡神社と庶民信仰の山の神。 |
| 8 | 地蔵堂 | 室町時代1429年に幕府との戦いで敗死した伊勢国司北畠満雅の冥福を祈って、後年村人が地蔵菩薩を本尊として建立した寺の名残のお堂。 当地には「北畠満雅が当地の桜の美しさを愛でて荘園とした」という伝承があります。「北畠氏と北伊勢の関わり」を中心に歴史背景を読み、伝承の端緒に迫ります。 |
| 9 | 桜神社跡の碑 | 「桜神社」は往古から明治42年に神社合祀されるまで、桜一色村の産土神であった。石碑には、安濃郡安濃津(現・三重県津市)の儒者山田直行が明治2年に桜神社参詣時に作った詩が刻まれている。 当地では「桜一色村は桜村から枝分れした村」と考えられてきましたが、果たして真実か? 桜神社に焦点を当てつつ「桜一色村の由来」を考察します。 |
| 10 | 瑞光の石碑 | 度重なる洪水から村人を救うため、尼僧が自ら進んで生き埋めとなった伝説のある石碑。 |
| 11 | 三十三間筒(さんじゅうさんげんどう) | 三十三間筒は金渓川の底に埋めた樋管です。菰野町の蟹池から引いてきた農業用水は、この樋を通過して桜地区側に取り出され、長い水路を巡って智積の広大な水田を灌漑します。智積養水の重要ポイント。 |
| 12 | 引石(ひきいし) | 江戸時代中期、生水川(今の矢合川)の石橋の両橋詰に一本ずつ「引石(石柱)」が建てられた。里人はその引石に一本の縄をかけ、川が増水した時には流されない様に綱につかまって“南無阿弥陀仏”と唱えながら橋を渡りました。 |
| 13 番外 |
椿岸神社 (延喜式内社) |
もと字椿尾に在った椿岸神社は1560年現在地に再建され、以降桜地区民の氏神様。 |
| 13 | 加賀姫と 椿岸稲荷神社 |
智積御厨の領家松木家の息女加賀姫が1605年に建てた「幸田神社」は、明治42年(1909)神社合祀で椿岸神社に合祀されました。戦後昭和35年(1960)になって「椿岸稲荷神社」と名を変えて再建されました。 桜の歴史上の人物の中で、唯一の女性が加賀姫。神社建立によって加賀姫は里人に愛され続け、今世紀まで継承されました。 |
| 14 | 延福寺跡 | 1529年の戦火で焼け、以降数々の変遷があったが、ついに明治7年廃寺となる。現在、ご本尊・薬師如来坐像は西勝寺に安置されています。 佐倉城主小林家との関連に注目されたい。 |
| 15 | 智積御厨と 多宝山智積寺 |
智積御厨は1160年代に成立し、1200年に多宝山智積寺が創建された。戦乱などで数回焼失するもその都度再建され、遂に明治9年伊勢暴動で焼失、破却。 現在、ご本尊の薬師如来坐像と十二神将、閻魔像は南区公会所に祀られています。 |
| 16 | 桜観音堂 | 古より村人が守り仏として聖観世音菩薩を慕い続けてきました。今日でも、縁日には参詣人で賑わいます。 階段横に佐倉城主の墓石や五輪塔が安置されています。 |
| 17 | 智積廃寺跡 | 四日市市最古の仏教寺院跡。発掘調査の結果、川原寺式軒丸瓦が多数検出され、また当地は壬申の乱で大海皇子(後の天武天皇)が通過したルート上にあることから、飛鳥時代末期創建と考えられています。 |
| 18 | 雨池用水と大師堂 | 1818年に一生吹山の西北の窪地に「新雨池、通称・瓢箪池」が築造され“雨池用水”が整備されました。大師堂は弘法大師の水にまつわる伝説に因み、「豊かな水」を祈願して村人が建立。 |
| 19 | 鵯岡白滝不動 | お堂は1931年(昭和6)建立。「雨池」の傍の谷間で偶然発見された「不動明王の石像」をお祀りしています。附近の梅林は見事。 |
| 20 | 一生吹山の歴史 | 1539年、若き佐倉城主小林重則が、関一族の峯城主峯盛定を一生吹山の出城(でじろ)で迎え撃つも、敢え無く敗れ矢合川北岸で自害した悲惨な戦争の歴史。佐倉城主小林家の出自から、攻撃を受けるまでの経緯など歴史背景に迫ります。 |