椿岸神社の獅子舞
(つばきぎしじんじゃ の ししまい)

三重県四日市市智積町の椿岸神社の獅子舞は、
平成4年、四日市市指定無形民俗文化財に指定されました。

椿岸神社の獅子舞は、
伊勢国一宮「椿大神社」(鈴鹿市山本町)を本拠地とする「山本流」に属します。

伝承によると、
「椿岸神社」と「椿大神社」の獅子頭は、
同木で作られた姉妹獅子で、
根元に近い部分で作られた「椿岸神社の獅子頭」が、
姉獅子であると言い伝えられています。

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椿岸神社秋季大祭と獅子舞奉納

 椿岸神社の獅子舞は、獅子神祈祷神事として、例年10月10日の秋季例大祭日に、その年の豊穣に感謝して奉納されます。(近年は10月10日前後の日曜日に変更になりました)
当日の午前中は、「椿岸神社獅子舞保存会」のメンバーが、氏子地内・桜地区内数ヶ所をトラックやバンで移動しながら、下記の例のように門祈祷舞を粛々と執り行なっています。
そして午後2時から、椿岸神社拝殿前で獅子神御祈祷神事がおよそ2時間にわたって奉納されます。

 「獅子神門祈祷舞」 桜地区内桜ヶ丘にて (2001年10月10日撮影)
獅子神門祈祷舞−1 獅子神門祈祷舞ー2


椿岸神社獅子舞の解説
「椿岸神社 獅子神御祈祷神事」 (2002年10月10日撮影)
 拝殿前で、椿岸神社獅子舞保存会による獅子神祈祷神事(獅子舞)が2時間にわたって披露されます。
 椿岸神社の獅子舞は、伊勢国一之宮である椿大神社を本拠地とする山本流に属しますが、元祖である椿大神社にも伝わっていない椿岸神社独自の演目一段(鳥差の舞)を含む十三段からなります。
(1)初段の舞 (2)お越しの舞  (3)すら舞  (4)扇の舞  (5)逆手の舞  (6)背負いの舞  (7)追立ての舞  (8)扇起こしの舞  (9)捨扇の舞  (10)鳥さしの舞  (11)お湯たての舞  (12)子獅子の舞  (13)花の舞。

下記に主な演目の解説を記します。
祈祷舞の段節

 それぞれ座に着くと、一同再拝二拍手一拝し、神主が猿田彦大神をはじめ、天神地祇八百万の神のご降臨を願う。 
 この時、笛にて神おろしの曲を奉奏する。

 次いで神主が大祓詞(中臣祓)を笛の調べとともに奏し、その間、お頭役、口取り役は静座のまま。

 大祓詞の奏上が終わると、鼓、太鼓の音とともに、お頭役、口取り役が立ち上がり、初段の祈祷神事を斎行する。
祈祷舞の段節
1.初段の舞(四方ざし)
1.初段の舞(四方ざし)

 猿田彦大神の神面を頂く口取り役がささらを用いて獅子神を操り、天地人四方八方を祓い清める。

 最後に獅子神頭の拝礼があって、初段の舞を終える。





2.起こしの舞

 ひと休みの獅子神に対し、「口取り役」は四方を飛び回ってこれを鼓舞し、今一度眠れる獅子を起こして祓い清めを命じます。

 獅子神は座したまま天地人四方八方に神頭を巡らせ祓い修めます。

 このお越こしの舞を修めることで、いよいよ全てが祓い清められ、次の段節へと進みます。

2.起こしの舞
3.扇の舞 3.扇の舞

 「口取り役」が「ささら」を「扇」に持ち替え、天下泰平、四海静穏、風雨順時、百穀潤屋の聖武天皇勅願のまにまに祈願をこめて斎行される祈祷舞です。

 祈祷舞は「扇の舞」、「すら舞」、「逆手の舞」、「背追いの舞」、「追いたての舞」、「扇起こしの舞」、「捨て扇の舞」の七曲に区分されています。

 その七曲と七神役の七拍子とが一心同体となり、日の丸の扇になぞらえた天照大神の御心との調和が綾なす、神恩感謝の優雅な悦びの舞です。

4.鳥差しの舞

 鳥差しの舞は、獅子は出ず、「口取り役」の子が一人で行うもので、山本流の元祖である椿大神社にも伝わっていない椿岸神社独自のものです。

 「口取り役」が竿の先に「鳥もち」をつけ、鳥を捕る仕草をして、鳥が五穀を食い荒らさぬよう戒める行事です。

4.鳥差しの舞
5.子獅子の舞
5.子獅子の舞

 「後舞役」が別途に用意された小ぶりの獅子頭を用い、「口取り役」の教導によって舞うもので、年少者の身体・精神の健全な育成、教導を目的としています。

 舞い終わった後で、子獅子は拝観者の頭を噛みに行くことになっており、喜んで受けて戴くこととされています。

 (お獅子に頭を噛んでもらうと、その一年は健康に過ごせる、頭痛持ちが治る、頭の良い子に育つなど縁起が担がれています)

6.御湯立ての祓い(湯の花)

 「口取り役」のにみよって修められる清め祓い、即ち猿田彦大神自ら親しく斎行される祓いです。

 御幣、鈴、弓矢、笹の葉を束ねたものを用い、湯(斎の水)に見立てた五色の切麻を天地左右中と振り撒いて祓い清め、最後にその切麻を拝観者に振りかけます。

 これを「湯の花」とも称し、これを蒙ることは猿田彦大神の神徳を授かることとされたいへん喜ばれています。

6.御湯立ての祓い(湯の花)
7.花の舞

7.花の舞

 五色の紙に切目を入れて稲の花に見立てたもの、また五色の切麻を包んだ紙包みを青竹に付け、あたかも大きな稲の如くにしつらえたものを用い、華やいだ舞場にて再び獅子神が舞う。

 大竹から五色の切麻が鮮やかに舞い散り、この舞いを以って獅子神御祈祷神事は完結します。




獅 子 舞 用 語 の 解 説
お頭役 胴幕の中で獅子頭を操って動く。その動きは非常に激しく、「後舞役」の子どもを誘導してかなり鍛錬が要ります。
(智積町の大人が務めます)
後舞役 常に獅子の全体の姿を留意し、特に腹部の形に注意を払い、胴幕を張りすぎたり緩めすぎたりしないよう注意が必要です。
(智積町の小学生の2、3、4年生が務めます)
口取り役 鳥兜に天狗(猿田彦大神とされています)の面を着けています。猿田彦大神の化身とされ獅子の先導役です。
(智積町の小学生の高学年5、6年生が務めます)
ささら 獅子舞、田楽などに用いる楽器。竹を一尺(約30cm)ほどに切り、その先を細かく割いて束ねたものを右手に持ち、別に「ささらご」と称する棒にきざみをつけたものを左手に持って、摺り合わせて音を出し拍子をとります。
胴幕 獅子頭についた布の胴のこと。これに前後二人、「お頭役」と「後舞役」が入って舞います。
「子獅子の舞」の段では、小さい獅子頭と胴幕がついたものを子どもが一人で被って、「口取り役」の先導で舞います。
(注)椿岸神社獅子舞では、「お頭役」、「後舞役」、「口取り役」と呼称されていますが、それぞれ神社や地域などによって呼び方は変わります。





獅子舞のルーツとその発達
  • インド地方で放牧民や農耕民の信仰から生まれ、百獣の王ライオンが神格化され崇められたもので、やがて宗教行事として、五穀豊穣、無病息災など人々の切なる祈願が込められ神に奉納されるようになったと考えられています。
  • 神事としての獅子舞はシルクロード交易の発達と共にチベット、中国、東南アジアに伝わり、日本への伝来は8世紀の奈良時代頃とされています。
  • 日本各地への伝達は、伊勢の皇太神宮や尾張の熱田神宮の御師(または真人と呼ぶ)が、神宮の信仰を広めるため大麻を持って全国を巡り、獅子舞を悪魔祓いの神舞として各地で演じたことから、大神楽、神楽囃子などと称するものが全国に分布したとみられています。
  • 四日市市東阿倉川町は大神楽の一大拠点で、江戸時代までは伊勢の大神楽といえば阿倉川と有名でしたが、その後途絶え現在では四日市市内で伝承されているところはありません。
  • 今では伊勢大神楽といえば、桑名市大夫町の伊勢大神楽を指し、舞(獅子舞)と、曲(放下芸。はなれわざ)の二つで構成されています。(国指定重要無形民俗文化財。三重県桑名市太夫155 増田神社)
椿岸神社獅子舞の起源・伝承・経緯
  起源

  • 『椿岸神社縁起』によれば、今からおよそ1300年前の奈良時代、天平12年(740)、聖武天皇が伊勢国へ行幸された時に、桜西区椿尾の山中の椿の木で獅子頭を2つお作りになり、一つを現・鈴鹿市山本町の椿大神社に、他の一つを椿岸神社に奉納されたとあります。 
  • 勅願には「天下泰安」、「四海静穏」、風雨順時」、百穀潤屋」と記されていることから、椿岸神社の獅子舞は天下国家の安寧と五穀豊穣を祈念して創始されたものと考えられています。
  • 桜字椿尾は、「獅子の本拠地」という表記があり、獅子舞ゆかりの地と考えられています。
  伝承 
  • 椿岸神社と椿大神社の獅子頭は同木で作られた姉妹獅子で、椿岸神社の方が根元に近い部分で作られたので「姉獅子」、椿大神社は「妹獅子」と言い伝えられています。
  • 昔は閏年でしたが近年は3年に一度、椿大神社の獅子舞が椿岸神社社殿前で奉納される理由は、同木で作られた姉妹獅子が互いに会いたがるためであり、だから妹獅子が舞っている時、姉獅子である椿岸神社の獅子頭は社殿に据え置かれるのだと伝承されています。(しかし、椿大神社の獅子舞は、昔は閏年、近年は3年に一度、北勢地方の村々を訪れており、椿岸神社だけを訪れたわけではありませんでした。が、これもについても、椿岸神社の姉獅子に会いに出たついでに他村を巡ったのだと語り継がれ、伝承の面白さ面目躍如たるものがあります)
  • また、古来より椿大神社の獅子が菰野へ行く時には、必ず桜地区の西方にある椿尾の「獅子コバ」という見晴らしよく日当りのよい場所で、「四方ざしの舞」を行うのを習わしとしていました。
    (椿大神社の獅子が椿尾の獅子コバで舞う慣例は、大正時代まで残っていたそうですが、その後途絶えています。これは、椿大神社が遠方への獅子舞巡訪を止め、神社近辺だけに切換えた事に因ると考えられます) 
  経緯

  • 椿岸神社の獅子舞は、明治、大正、昭和初期までずっと継承されていましたが、第二次世界大戦前夜、日本が戦時体制に入り途絶えました。
  • 戦後、昭和26年頃から昭和35年頃までの期間、青年団によって獅子舞は再び奉納されるようになったものの、青年団が自然消滅するに伴い、獅子舞も再び途絶えました。
  • 昭和59年3月、智積町の有志によって「椿岸神社獅子舞保存会」が結成されて、同年10月10日、椿岸神社で獅子舞が奉納されました。再び郷土に戻ってきた獅子舞は町民に大歓迎されました。

椿岸神社宝物の獅子頭
 平成19年度(2007)獅子神祈祷神事 10月14日(日)午後2時から斎行
 本年は、宝物・獅子頭(椿岸神社獅子神)が本殿正面に出座、獅子舞奉納をご高覧。

                        (写真提供:戸田和男様(桜ヶ丘) 2007年10月14日撮影 )

上・下顎とも檜材。彩色。両耳は別製で各々頭頂から差し込んで固定。
幅32.6cm、奥行43.5cm、耳を除いた高さ24.6cm
室町時代・永正6年(1509年)作 

舌の裏面の墨書

冠峯山権大僧都法印
       覚信
願主三郎四郎
永正六年己巳卯月廿一日

  • 墨書銘にある「冠峯山」とは、御在所岳の北の国見岳中腹(標高約792メートル)、通称鳥居道山に在った天台宗「冠峯山三嶽寺(かんぽうざんさんがくじ)」のことで、大同年間(806〜810年)伝教大師創建と伝えられ、往古は北伊勢の天台寺院を傘下に置く大寺院だったのが、元亀二年(1571)の頃、伊勢侵攻の織田の兵火に罹り廃寺となりました。
    いま「冠峯山三嶽寺」と称する寺は、菰野町湯の山の天台宗に属する寺と、菰野町千草の真宗大谷派に属する寺の二か所に分かれています。これは、江戸時代に菰野村と千草村間で起こった鳥居道山を巡る山論の結果、両村が三嶽寺を建立したことによるものです。
  • 永正六年(1506)頃の椿岸神社と冠峯山三嶽寺の関係は分かっていませんが、江戸時代に三嶽寺廃寺域を含む鳥居道山と呼ばれる山地は、佐倉村、桜一色村、智積村を含む三重郡18ヶ村の共有山(入会地)でした。
  • またこの18ヶ村は戦国時代には千種城主の配下にあったと伝えられ、とりわけ当地の小林佐倉城主家は、天正年中(1573〜1592)頃に千種城主家から養子を迎えていることを鑑みると、千種家を介して三嶽寺との浅からぬ繋がりが浮かび上がります。
    (【註】三重郡18ヶ村は、閏田村、吉沢村、福村、宿野村、神田村、森村、桜一色村、佐倉村、智積村、黒田村、江村、平尾村、西野村、寺方村、高角村、曽井村、尾平村、生桑村を指す)
 〜〜獅子頭について〜〜(獅子舞保存会の山岸会長談)
「椿岸神社に受け継がれた宝物の獅子頭は、現在使用している獅子頭に比べると大きくて非常に重いので、とても被って舞うことが出来ない重さだが、昔の男は今よりも力持ちだったのかな?」と首を傾げてみえました。

 獅子頭の制作年代について二説あります
* 獅子頭はかさ高の量感に乏しく平たくて抑揚がなく類型化していることから、舌のみ永正6年時の古例を残すもので、他の部分は後で造り替えられた可能性が大きいとする説。(『四日市市史第4巻』)
* 獅子の頭頂部に宝珠が無く、両耳は大きくて頭部に差し込んで固定されている点から古態に属し、下顎部だけは造り替えられた可能性があるものの、他は永正6年制作当初のものとする説。(『伊勢・伊賀・志摩の修験者たち(1)三重郡三嶽寺』平松冷三著、『三重の古文化第68号』収載)

 椿岸神社の獅子頭の制作が墨書年記のままと判断されるならば、三重県下で3番目に古い獅子頭となります。
1. 弘安3年(1280)、伊奈富(いのう)神社(鈴鹿市稲生)の獅子頭
2. 永享7年(1435)、神館(こうだて)神社(桑名市江場)の獅子頭
3. 永正6年(1509)、椿岸神社の獅子頭
4. 永正16年(1519)、珂夫賀(かふか)神社(志摩市阿児町)の獅子頭
5. 天文14年(1545)、加茂神社(鳥羽市松尾町)の獅子頭

平成18年度(2006)獅子神祈祷神事 10月8日(日)午後2時より斎行時の獅子頭
                      撮影:2006年10月8日(日)  (椿岸神社総代橋川様のご許可を得て撮影)
2002年10月10日の獅子舞祈祷神事の際には、椿岸神社宝物の獅子頭のお姿はありませんでしたが、2006年度は写真のように桐箱に入ったままの状態で本殿に御出座されました。 【左写真の桐箱内】
桐箱内の獅子頭は、本殿前で奉納される獅子舞を見守るように南方向きでした。


昭和の獅子舞継承
 「椿岸神社獅子舞保存会」の会長・山岸昇様にお聞きしました。

椿岸神社獅子舞保存会・山岸昇会長
(撮影:2006/10/08 )

 戦後の昭和26(1951)年頃、戦争で途絶えていた獅子舞を復活させたいと青年団が獅子舞練習を始めようとした時、若者たちは戦前の獅子舞経験者である大人に教えを乞い、獅子舞を復活させました。 

 しかし、それから10年程経過した頃、時代の趨勢で青年団が消滅して、獅子舞も再び途絶えてしまいました。

 やがて昭和59(1984)年、獅子舞を復活させようと「椿岸神社獅子舞保存会」が結成され、この時のメンバーは、戦後の青年団員の獅子舞経験者に指導してもらい、再び見事に復活させる事ができました。
 こうして私たちの先人が残した椿岸神社の獅子舞は、忘れ去られようとする寸前に、その都度人々の熱意とたゆまぬ努力が功を奏して、山本流本家椿大神社にも伝承されていない貴重な「鳥差しの舞」の段をはじめ、全ての舞が復元されました。
そして平成4年6月30日、四日市市指定無形民俗文化財に指定され、今日まで継承されてきました。
 「椿岸神社獅子舞保存会」の初代会長は智積町の芳山末一様でしたが、間もなく山岸昇様(同じく智積町)が第二代会長となられ、以後永年にわたってご尽力されています。 


山本流獅子舞について
  • 四日市市内においては、獅子舞は獅子と口取りが舞う「神樂獅子舞」と、神樂獅子舞に曲芸などの放下芸を採り入れた「大神楽」の二つの系統に大別されます。
  • 「神樂獅子舞」はさらに、稲生、山本、箕田、中戸の四流派に分かれ、これを総称して「四山の獅子舞」と呼んでいます。
  • 山本流の獅子舞は、伊勢国一之宮である椿大神社が本拠地で、鎮座地が鈴鹿市山本町なので、地名から山本流と呼ばれます。
  • 平成7年の調べでは、山本流獅子舞は、智積町(椿岸神社)、西坂部町御館(江田神社)、北野町(県神社)、寺方町一区(若宮八幡宮))の4ヶ所で行われています。
  • 椿大神社の獅子舞は3年に一度行われ、獅子舞の数々が北勢地方の村々を訪れていましたが、現在では遠くまで回らず神社周辺地域だけで舞われています。
    しかし、椿岸神社への獅子舞奉納は依然として続けられています。
    2003年(平成15)3月9日(日曜日)、9時から11時40分にかけて、「椿大神社 椿宮獅子神門御祈祷」が桜地区内9ヶ所で行われ、そして午後1時から椿岸神社境内にて「椿大神社 椿宮獅子神御祈祷神事」が斎行されました。
「椿大神社 椿宮獅子神門御祈祷」
桜ヶ丘集会所前にて (2003年3月9日撮影)
椿大神社 椿宮獅子神門御祈祷ー1 椿大神社 椿宮獅子神門御祈祷ー2

「椿大神社 椿宮獅子神御祈祷神事」
椿岸神社境内にて (2003年3月9日撮影)
椿大神社 椿宮獅子神御祈祷神事ー1 椿大神社 椿宮獅子神御祈祷神事ー2


、獅子舞保存会では後継者不足に悩んでます
  •  獅子舞を見るのは楽しいけれど、自分が獅子舞を務めるとなると、その練習はとてもたいへんです。
    獅子舞の練習は、8月4日前後の「四日市祭り」に参加するため、毎年7月20日頃から暑い最中に頑張ります。
  • 四日市祭りで無事舞修めてホッとするのもつかの間、またお盆過ぎから10月10日大例祭の前日まで、週2回夜の練習を重ね、大例祭当日の一週間ほど前からは毎晩猛練習を重ねます。
    「お頭役」や楽器担当の大人でさえも、練習にたいへんな時間を要するので嫌う傾向にあります。
    獅子舞の重要な役割「口取り役」や「後舞役」を演じる子どもたちも、智積町では年々小学生の数も減りつつあって、喜んでやってくれるこどもを見つけるのはたいへんです。
    獅子舞は、「後舞役」と「口取り役」の子ども役から順々に体で覚えていくものなので、今後も受け継がれるのかどうかの瀬戸際にきているそうです。

椿岸神社獅子舞保存会会長の山岸昇様にご教示いただきました。
参考資料:『獅子神御祈祷神事斎行の次第』(椿岸神社獅子舞保存会)。椿岸神社社報『つばきぎし』平成4年5月1日号(椿岸神社社務所発行)。『四日市市史第四・五巻』(四日市市)。『三重の古文化通巻109号』(三重郷土史会)、『国史大辞典』(吉川弘文館)。『日本史大辞典』(河出書房新社)。『こもの文化財だより第20号』(菰野町教育委員会)。
2003年5月15日掲載、2005年7月7日更新、2006年10月8日更新、2007年10月28日更新、2011年7月20日更新、文責:永瀧 洋子