椿岸神社の獅子舞
(つばきぎしじんじゃ の ししまい)

三重県四日市市智積町の椿岸神社の獅子舞は、
1992年(平成4)6月、四日市市指定無形民俗文化財に指定されました。

椿岸神社の獅子舞は、
伊勢国一宮「椿大神社」(鈴鹿市山本町)を本拠地とする「山本流」に属します。

伝承によると、
「椿岸神社」と「椿大神社」の獅子頭は、
同木で作られた姉妹獅子で、
根元に近い部分で作られた「椿岸神社の獅子頭」が、
姉獅子であると伝えられています。

椿岸神社秋季大祭と獅子舞奉納

 椿岸神社の獅子舞は、獅子神祈祷神事として、例年10月10日の秋季例大祭日に、その年の豊穣に感謝して奉納されます。(近年は10月10日前後の日曜日に変更になりました)

 椿岸神社の獅子舞は、伊勢国一之宮である椿大神社を本拠地とする山本流に属しますが、元祖である椿大神社にも伝わっていない椿岸神社独自の演目一段「鳥差(とりさし)の舞」を含む次の十三段からなります。

  (1)初段の舞     (2)お越しの舞    (3)すら舞      (4)扇の舞    (5)逆手の舞
  (6)背負いの舞    (7)追立ての舞   (8)扇起こしの舞  (9)捨扇の舞   (10)鳥差の舞
  (11)お湯たての舞  (12)子獅子の舞  (13)花の舞
  • 秋季大例祭当日の午前中は、「椿岸神社獅子舞保存会」のメンバーが、氏子地内である桜地区内の数ヶ所をトラックやバンで移動しながら、下記の例のように「門祈祷舞」を粛々と執り行ないます。

     「獅子神門祈祷舞」の様子 (桜地区内桜ヶ丘にて (2001年10月10日撮影)
    獅子神門祈祷舞−1 獅子神門祈祷舞ー2

  • 同日の午後2時から、椿岸神社拝殿前で「獅子神御祈祷神事」が約2時間半にわたって奉納されます。

    下記は、2002年10月10日、獅子神祈祷神事奉納の様子を、当日参拝者に配布された解説書に沿って一部記したものです。(椿岸神社獅子舞保存会の山岸昇様(智積町)にご指導いただきました)
椿岸神社獅子神御祈祷神事・・・解説と写真
(写真撮影:2002年10月10日)
     なお、用語の解説は、「椿岸神社獅子舞の用語解説」をご参照ください。
【祈祷舞の段節】

 それぞれ座に着くと、一同再拝二拍手一拝し、神主が猿田彦大神をはじめ、天神地祇八百万の神のご降臨を願う。 
 この時、笛にて神おろしの曲を奉奏する。

 次いで神主が大祓詞(中臣祓)を笛の調べとともに奏し、その間、「お頭役」「口取り役」は静座のまま。

 大祓詞の奏上が終わると、鼓、太鼓の音とともに、「お頭役」「口取り役」が立ち上がり、初段の祈祷神事を斎行する。
祈祷舞の段節
1.初段の舞(四方ざし)
【1.初段の舞(四方ざし)】

 猿田彦大神の神面を頂く「口取り役」「ささら」を用いて獅子神を操り、天地人四方八方を祓い清める。

最後に獅子神頭の拝礼があって、初段の舞を終える。


【2.起こしの舞】

 ひと休みの獅子神に対し、「口取り役」は四方を飛び回ってこれを鼓舞し、今一度眠れる獅子を起こして祓い清めを命じます。

 獅子神は座したまま、天地人四方八方に神頭を巡らせ祓い修めます。

 このお越こしの舞を修めることで、いよいよ全てが祓い清められ、次の段節へと進みます。

2.起こしの舞
3.扇の舞 【3.扇の舞】

 「口取り役」が「ささら」を「扇」に持ち替え、天下泰平、四海静穏、風雨順時、百穀潤屋の聖武天皇勅願のままに祈願をこめて斎行される祈祷舞です。

 祈祷舞は「扇の舞」、「すら舞」、「逆手の舞」、「背追いの舞」、「追いたての舞」、「扇起こしの舞」、「捨て扇の舞」の七曲に区分されています。

 その七曲と七神役の七拍子とが一心同体となり、日の丸の扇になぞらえた天照大神の御心との調和が綾なす、神恩感謝の優雅な悦びの舞です。

【4.鳥差しの舞】

 鳥差しの舞は、獅子は出ず、「口取り役」の子が一人で行うもので、山本流の元祖である椿大神社にも伝わっていない椿岸神社独自のものです。

 「口取り役」が竿の先に「鳥もち」をつけ、鳥を捕る仕草をして、鳥が五穀を食い荒らさぬよう戒める行事です。

4.鳥差しの舞
5.子獅子の舞
【5.子獅子の舞】

 「後舞役」が別途に用意された小ぶりの獅子頭を用い、「口取り役」の教導によって舞うもので、年少者の身体・精神の健全な育成、教導を目的としています。

 舞い終わった後で、子獅子は拝観者の頭を噛みに行くことになっており、喜んで受けて戴くこととされています。

 (お獅子に頭を噛んでもらうと、その一年は健康に過ごせる、頭痛持ちが治る、頭の良い子に育つなど縁起が担がれています)

【6.御湯立ての祓い(湯の花)】

 「口取り役」のにみよって修められる清め祓い、即ち猿田彦大神自ら親しく斎行される祓いです。

 御幣、鈴、弓矢、笹の葉を束ねたものを用い、湯(斎の水)に見立てた五色の切麻(切り刻んだ色紙)を天地左右中と振り撒いて祓い清め、最後にその切麻を拝観者に振りかけます。

 これを「湯の花」とも称し、これを蒙ることは猿田彦大神の神徳を授かることとされたいへん喜ばれています。

この時、参拝者に飴が撒かれます)

6.御湯立ての祓い(湯の花)
7.花の舞

【7.花の舞】

 五色の紙に切目を入れて稲の花に見立てたもの、また五色の切麻を包んだ紙包みを青竹に付け、あたかも大きな稲の如くにしつらえたものを用い、華やいだ舞場にて再び獅子神が舞う。

 大竹が大きく揺すられると、五色の稲穂がゆらゆら揺れ、細かく切られた五色の色紙が空中に舞い散り、それに合わせて獅子神も大きく大胆に舞う様子は圧巻です。

この舞いを以って、獅子神御祈祷神事は完結します。




椿岸神社獅子舞 の 用語解説
お頭役
(おかしらやく)
胴幕の中で獅子頭を操って舞う「お頭役」は、「天受賣受命(あまのうずめのみこと)」の化身と見做されています。
「お頭役」が担う「獅子神」の動きは非常に激しく、腰を低く屈めて地をのた打ち回るかのような仕草をしたかと思うと、急に天空に向って吠えるような舞いの動きをしながら、同時に「後舞役」の子どもを誘導ししなかればならずかなり鍛錬が要ります。
(智積町の大人の男性が務めます)
後舞役
(あとまいやく)
「後役舞」も、「天受賣受命(あまのうずめのみこと)」の化身とされています。
「後役舞」は女神の天受賣受命を模して、振袖に袴着姿で胴幕内の「お頭役」の後ろに入って舞います。
常に獅子の全体の姿を留意し、特に腹部の形に注意を払い、胴幕を張りすぎたり緩めすぎたりしないよう注意が必要です。
(智積町の男子小学生の2、3、4年生が務めます)
口取り役
(くちとりやく)
鳥の兜に天狗の面を着けた「口取り役」は、猿田彦大神(さるたひこおおかみ)の化身とされています。
獅子の先導役となり、「ささら」や「扇」を用いて舞います。
(智積町の男子小学生の高学年5、6年生が務めます)
ささら 獅子舞、田楽などに用いる楽器。竹を一尺(約30cm)ほどに切り、その先を細かく割いて束ねたものを右手に持ち、別に「ささらご」と称する棒にきざみをつけたものを左手に持って、摺り合わせて音を出し拍子をとります。
胴幕
(どうまく)
獅子頭についた布の胴のこと。これに前後二人、「お頭役」と「後舞役」が入って舞います。
「子獅子の舞」の段では、小さい獅子頭と胴幕がついたものを子どもが一人で被って、「口取り役」の先導で舞います。
(注)椿岸神社獅子舞では、「お頭役」、「後舞役」、「口取り役」と呼称されていますが、それぞれ神社や地域などによって呼び方は変わります。





獅子舞のルーツとその発達
  • インド地方で放牧民や農耕民の信仰から生まれ、百獣の王ライオンが神格化され崇められたもので、やがて宗教行事として、五穀豊穣、無病息災など人々の切なる祈願が込められ神に奉納されるようになったと考えられています。
  • 神事としての獅子舞はシルクロード交易の発達と共にチベット、中国、東南アジアに伝わり、日本への伝来は8世紀の奈良時代頃とされています。
  • 日本各地への伝達は、伊勢の皇太神宮や尾張の熱田神宮の御師(または真人と呼ぶ)が、神宮の信仰を広めるため大麻を持って全国を巡り、獅子舞を悪魔祓いの神舞として各地で演じたことから、大神楽、神楽囃子などと称するものが全国に分布したとみられています。
  • 四日市市東阿倉川町は大神楽の一大拠点で、江戸時代までは「伊勢の大神楽」といえば「阿倉川」と有名でしたが、その後途絶え、現在では四日市市内で大神楽が伝承されているところはありません。
  • 今では伊勢大神楽といえば、桑名市大夫町の伊勢大神楽を指し、舞(獅子舞)と、曲(放下芸。はなれわざ)の二つで構成されています。(国指定重要無形民俗文化財。三重県桑名市太夫155 増田神社)

椿岸神社獅子舞の起源・伝承・経緯
【起源】
  • 『椿岸神社縁起』によれば、今からおよそ1300年前の奈良時代、天平12年(740)、聖武天皇が伊勢国へ行幸された時に、桜西区椿尾の山中の椿の木で獅子頭を2つお作りになり、一つを現・鈴鹿市山本町の椿大神社に、他の一つを椿岸神社に奉納されたとあります。
  • 勅願には「天下泰安」、「四海静穏」、風雨順時」、百穀潤屋」と記されていることから、椿岸神社の獅子舞は天下国家の安寧と五穀豊穣を祈念して創始されたものと考えられています。
  • 桜字椿尾は、「獅子の本拠地」という表記があり、獅子舞ゆかりの地と考えられています。
【伝承】
  • 椿岸神社と椿大神社の獅子頭は同木で作られた姉妹獅子で、椿岸神社の方が根元に近い部分で作られたので「姉獅子」、椿大神社は「妹獅子」と言い伝えられています。
  • 昔は閏年でしたが近年は3年に一度、椿大神社の獅子舞が椿岸神社社殿前で奉納される理由は、同木で作られた姉妹獅子が互いに会いたがるためであり、だから妹獅子が舞っている時、姉獅子である椿岸神社の獅子頭は社殿に据え置かれるのだと伝承されています。
    (しかし、椿大神社の獅子舞は、昔は閏年、近年は3年に一度、北勢地方の村々を訪れており、椿岸神社だけを訪れたわけではありませんでした。しかし、その理由は「椿岸神社の姉獅子に会いに出たついでに他村を巡った」と語り継がれ、伝承の面目躍如たるものがあります)
  • また、古来より椿大神社の獅子が菰野へ行く時には、必ず桜地区の西方にある椿尾の「獅子コバ」という見晴らしよく日当りのよい場所で、「四方ざしの舞」を行うのを習わしとしていました。「椿尾の獅子コバ」
    (椿大神社の獅子が椿尾の獅子コバで舞う慣例は、大正時代まで残っていたそうですが、その後途絶えています。これは、椿大神社が遠方への獅子舞巡訪を止め、神社近辺だけに切換えた事に因ると考えられます) 
【昭和の獅子舞継承の経緯】
 
太平洋戦争後の1951年(昭和26)以降の獅子舞の継承について、 「椿岸神社獅子舞保存会」の会長の山岸昇様にお聞きしました。
  1. 椿岸神社の獅子舞は、明治、大正、昭和初期までずっと継承されていましたが、太平洋戦争(1941〜45年)前夜、日本が戦時体制に入り途絶えました。
  2. 敗戦後、人々の暮らしは未だ苦しかったけれど、1951年(昭和26)頃、戦争で途絶えていた獅子舞を復活させたい青年団が立ち上がり、戦前の獅子舞経験者の大人に教えを乞うて、見事に獅子舞を復活させました。
  3. しかし、それから10年程経過した1961年(昭和36)頃、時代の趨勢で青年団が消滅してしまい、獅子舞も再び途絶えてしまいました。
  4. やがて昭和59(1984)年、獅子舞を復活させようと「椿岸神社獅子舞保存会」が結成され、この時のメンバーは、戦後の青年団員の獅子舞経験者に指導してもらい、再び見事に復活させる事ができました。

    こうして私たちの先人が残した椿岸神社の獅子舞は、忘れ去られようとする寸前に、その都度人々の熱意とたゆまぬ努力が功を奏して、山本流本家椿大神社にも伝承されていない貴重な「鳥差の舞」の段をはじめ、全ての舞が復元されました。
  5. 1992年(平成4)6月30日、四日市市指定無形民俗文化財に指定されました。



椿岸神社宝物の獅子頭
 平成19年度(2007)獅子神祈祷神事 10月14日(日)午後2時から斎行
             拝殿正面に据えられた宝物・獅子頭(椿岸神社獅子神)です。

 (写真提供:戸田和男様(桜ヶ丘) 2007年10月14日撮影 )
冠峯山権大僧都法印
       覚信
願主三郎四郎
永正六年己巳卯月廿一日

獅子頭の舌

裏面の墨書

  • 椿岸神社の獅子頭は、『四日市市史第4巻』によると、
    上・下顎とも檜材、彩色、両耳は別製で各々頭頂から差し込んで固定
    幅32.6cm、奥行43.5cm、耳を除いた高さ24.6cm
    舌の裏面の墨書には、「冠峯山権大僧都法印 覚信  願主三郎四郎 永正六年己巳卯月二十一日」とある。
    したがって、少なくともこの獅子頭の舌は、室町時代永正6年(1509年)作であることが判ります。
  • 墨書銘にある「冠峯山」とは、御在所岳の北の国見岳中腹(標高約792メートル)、通称鳥居道山に在った天台宗「冠峯山三嶽寺(かんぽうざんさんがくじ)」のことで、大同年間(806〜810年)伝教大師創建と伝えられ、往古は北伊勢の天台寺院を傘下に置く大寺院だったのが、元亀二年(1571)の頃、伊勢侵攻の織田の兵火に罹り廃寺となりました。
    現今、「冠峯山三嶽寺」と称する寺は、菰野町湯の山の天台宗に属する寺と、菰野町千草の真宗大谷派に属する寺の二寺に分かれて存在しますが、これは、江戸時代に菰野村と千草村間で起こった鳥居道山を巡る山論の結果、両村が三嶽寺を建立したことによるものです。
  • 永正六年(1506)頃の椿岸神社と冠峯山三嶽寺の関係は分かっていませんが、江戸時代に三嶽寺廃寺域を含む鳥居道山と呼ばれる山地は、佐倉村、桜一色村、智積村を含む三重郡18ヶ村の共有山(入会地)でした。
  • またこの18ヶ村は戦国時代には千種城主の配下にあったと伝えられ、とりわけ当地の小林佐倉城主家は、天正年中(1573〜1592)頃に千種城主家から養子を迎えていることを鑑みると、千種家を介して三嶽寺との浅からぬ繋がりが浮かび上がります。
    (【註】三重郡18ヶ村は、閏田村、吉沢村、福村、宿野村、神田村、森村、桜一色村、佐倉村、智積村、黒田村、江村、平尾村、西野村、寺方村、高角村、曽井村、尾平村、生桑村を指します)
獅子頭の制作年代について二説あります
  • 獅子頭はかさ高の量感に乏しく平たくて抑揚がなく類型化していることから、舌のみ永正6年時の古例を残すもので、他の部分は後で造り替えられた可能性が大きいとする説。(『四日市市史第4巻』)
  • 獅子の頭頂部に宝珠が無く、両耳は大きくて頭部に差し込んで固定されている点から古態に属し、下顎部だけは造り替えられた可能性があるものの、他は永正6年制作当初のものとする説。(「伊勢・伊賀・志摩の修験者たち(1)三重郡三嶽寺」平松冷三著、『三重の古文化第68号』収載)
椿岸神社の獅子頭の制作が墨書年記のままと判断されるならば、三重県下で3番目に古い獅子頭となります。
  1. 弘安3年(1280)、伊奈富(いのう)神社(鈴鹿市稲生)の獅子頭
  2. 永享7年(1435)、神館(こうだて)神社(桑名市江場)の獅子頭
  3. 永正6年(1509)、椿岸神社の獅子頭
  4. 永正16年(1519)、珂夫賀(かふか)神社(志摩市阿児町)の獅子頭
  5. 天文14年(1545)、加茂神社(鳥羽市松尾町)の獅子頭
 獅子頭について (獅子舞保存会の山岸会長談)
  「椿岸神社に受け継がれた宝物の獅子頭は、現在使用している獅子頭に比べると大きくて非常に重いので、とても被って舞うことが出来ない重さだが、昔の男は今よりも力持ちだったのかな?」と首を傾げてみえました。

平成18年度(2006)獅子神祈祷神事 10月8日(日)午後2時より斎行時の獅子頭
                      撮影:2006年10月8日(日)  (椿岸神社総代橋川様のご許可を得て撮影)
2002年10月10日の獅子舞祈祷神事の際には、椿岸神社宝物の獅子頭のお姿はありませんでしたが、2006年度は写真のように桐箱に入ったままの状態で本殿に御出座されました。 【左写真の桐箱内】
桐箱内の獅子頭は、本殿前で奉納される獅子舞を見守るように南方向きでした。



椿岸神社獅子舞保存会の歴代会長
 (1)「椿岸神社獅子舞保存会」の初代会長は、智積町の芳山末一様でした。
 (2)間もなく、山岸昇様(智積町)が第二代会長となられ、平成22年まで永きに亘って大役を果たされました。

椿岸神社獅子舞保存会・第二代会長 山岸昇様 

 (撮影:2006年10月8日   於:椿岸神社獅子舞神事秋季例大祭)

 (3)第三代会長には、平成23年度から小林隆夫様(智積町)が就任され、以後ご尽力いただいております。

「椿岸神社獅子舞保存会」の小林隆夫会長のご挨拶

(撮影:2013年10月13日  於:獅子神祈祷神事)  



山本流獅子舞について
  • 四日市市内においては、獅子舞は獅子と口取りが舞う「神樂獅子舞」と、神樂獅子舞に曲芸などの放下芸を採り入れた「大神楽」の二つの系統に大別されます。
  • 「神樂獅子舞」はさらに、稲生、山本、箕田、中戸の四流派に分かれ、これを総称して「四山の獅子舞」と呼んでいます。
  • 山本流の獅子舞は、伊勢国一之宮である椿大神社が本拠地で、鎮座地が鈴鹿市山本町なので、地名から山本流と呼ばれます。
  • 平成7年の調べでは、山本流獅子舞は、智積町(椿岸神社)、西坂部町御館(江田神社)、北野町(県神社)、寺方町一区(若宮八幡宮))の4ヶ所で行われています。
  • 椿大神社の獅子舞は3年に一度行われ、獅子舞の数々が北勢地方の村々を訪れていましたが、現在では遠くまで回らず神社周辺地域だけで舞われています。
    しかし、椿岸神社への獅子舞奉納は依然として続けられています。
    2003年(平成15)3月9日(日曜日)、9時から11時40分にかけて、「椿大神社 椿宮獅子神門御祈祷」が桜地区内9ヶ所で行われ、そして午後1時から椿岸神社境内にて「椿大神社 椿宮獅子神御祈祷神事」が斎行されました。
「椿大神社 椿宮獅子神門御祈祷」
桜ヶ丘集会所前にて (2003年3月9日撮影)
椿大神社 椿宮獅子神門御祈祷ー1 椿大神社 椿宮獅子神門御祈祷ー2

「椿大神社 椿宮獅子神御祈祷神事」
椿岸神社境内にて (2003年3月9日撮影)
椿大神社 椿宮獅子神御祈祷神事ー1 椿大神社 椿宮獅子神御祈祷神事ー2



獅子舞保存会の後継者問題
  •  獅子舞を見るのは楽しいけれど、自分が獅子舞を務めるとなると、その練習はとてもたいへんです。
    獅子舞の練習は、毎年8月4日前後の「大四日市祭り」に参加するため、7月20日頃から暑い最中に頑張ります。
    「大四日市祭り」では、「諏訪神社」に於いて獅子舞を無事舞修め、ホッとするの束の間で、またお盆過ぎから、10月10日前後の「椿岸神社の秋季大例祭」に向けて週2回夜の練習が始まります。そして大例祭の一週間ほど前からは、毎晩猛練習を重ねます。

     獅子舞の重要な役割の「口取り役」や「後舞役」を演じる子どもたちも、智積町では年々小学生の数も減りつつあり、
    「お頭役」や「楽器担当」の大人でさえも、日中各々の仕事を終えた後の夜の練習で嫌う傾向にあるぐらいですから、ましてや低学年の小学生にとって夜は眠いし、高学年になると学習塾に通う都合もあって、子どもも親御さんもなかなか良い返事をくれないので、喜んでやってくれる子どもを見つけるのはたいへんです。

     獅子舞というものは、子ども時代に「後舞役」と「口取り役」の子ども役を体で覚え、大人になり「お頭役」を習得したら、次は子供に子役の舞を教える、という風に順々に受け継ぎますが、そうこうするうち自然に獅子舞仲間の絆が強まっていきます。 (以上、2002年10月15日、椿岸神社獅子舞保存会・山岸昇会長の談話より。)
  •            

文責:永瀧 洋子
                                             

椿岸神社獅子舞保存会会長の山岸昇様にご教示いただきました。
参考資料:『獅子神御祈祷神事斎行の次第』(椿岸神社獅子舞保存会)。椿岸神社社報『つばきぎし』平成4年5月1日号(椿岸神社社務所発行)。『四日市市史第四・五巻』(四日市市)。『三重の古文化通巻109号』(三重郷土史会)、『国史大辞典』(吉川弘文館)。『日本史大辞典』(河出書房新社)。『こもの文化財だより第20号』(菰野町教育委員会)。
2003年5月15日掲載、2005年7月7日更新、2006年10月8日更新、2007年10月28日更新、2011年7月20日更新、2013年10月13日更新