4章 桜村処女会の概要
 三重県三重郡桜村の「桜村処女会」は、小林繁太郎村長によって1910年(明治43)2月に創立されました。その時の処女会の会規では、一般的な処女会と同様に「会長は村長、副会長は小学校長」と決められていました。
 その後1921年(大正10)の2月、同村長は、処女会の会規を「会長・副会長は会員中より選出」と大幅に改訂しました。こうして、会長は伊藤つるゑ様、副会長は杉野久様が選ばれ、自主・自立的な処女会運営が始まりました。


1.桜村処女会の副会長杉野久(すぎのひさ)様のプロフィール
  • 杉野 久 様
    平成12年12月6日撮影(97歳)
    • 生年月日:明治36年(1903)2月23日
    • 住  所:四日市市智積町903番地(現当主杉野元昭氏の御母堂)
    • 大正8年(1919):四日市高等女学校卒業。桜村処女会の会員となる。(主に裁縫の習得のため入会)
    • 大正10年(1921)2月:「桜村処女会」の副会長となる。
    • 大正15年(1926):満23歳で結婚の為「桜村処女会」を退会。
    • 数年後離婚。 戦中戦後の苦難の時代、子育てをしながら家業の「丸江戸屋(雑貨商)」を守り続け、終生経営に専念する。
    • 平成13年(2001)ご逝去(享年98)

2.桜村処女会の創立年と会則
  • 「桜村処女会」は1910年(明治43)2月11日に創立で、三重郡内では一番早い創立でした。
    また創立時の役員組織は、「会長は村長、副会長は小学校長」と一般的処女会と変わりありませんでした。

    1910年(明治43)創立時の「桜村処女会の会規」
    創立年月日 明治43年(1910) 2月11日
    目的 処女の婦徳修養の機関
    会員の年齢 13歳〜25歳未婚女性
    役員組織 会長 村長(小林繁太郎)
    副会長 小学校長(西林垣太郎)
    幹事 各区に2名宛会員の中より会長が命ずる
    事業の種類 講習講話、手芸品展覧会
        (『三重縣補習教育社会教育事績』、『三重県三重郡誌』、『桜小学校の百年』を参考に作成)

3.大正10年(1921)2月、桜村処女会の会規改訂
  • 桜村処女会は大正10年2月の会規改訂で、会長と副会長は「会員中より選挙し任期を二ヵ年とす」と規定されました。

    1921年(大正10)2月会規改訂、「桜村処女会の会規」
    (一)総 務 一名 桜村長を推戴す
    (二)副総務 二名 実業補習学校長及び桜村助役を推戴す
    (三)顧 問 一名 本村小学校教員を推戴す
    (四)理事長 一名 桜小学校女教員にして村立実業補習学校女子部兼務の女教員を推戴す 
    (五)理事 数名 村立実業補習学校女子部女教員及び桜小学校女教員を推戴す
    (六)会長 一名 会員中より選挙し任期を二ヶ年とす
    (七)副会長 一名 同上
    (八)幹事 八名 会員中各支会より二名宛選挙し任期は二ヶ年とす
    会員組織 年齢13歳以上(尋常科卒業)25歳以下の処女を以てせり
    会員数 本年度157名
    維持の方法 会員一名に付会費15銭を徴収し、外に村費補助金35円を受けて維持す
    事業の概要 創設以来年々講演会、講習会、手芸品評会等の事業を営んできたが、更に大正4年4月に至り処女教育機関の処女会事業として裁縫講習所を設け、会員をして裁縫技術の習得に便益を与えることとせり。 以下「事業の概要」の詳細は「6章桜村処女会の活動」へ
                              (出典:『三重縣補習教育社会教育事績』)

    【杉野様の証言】
    • 全ての処女会事業について、先ず役員女子(会長・副会長・各地区の幹事の計10人の女子)が南区公会所に寄り集まってじっくり話し合い、それから必要に応じて、村長さんや校長先生や村内の偉いさんたちから助言を頂いたり、小学校の女の先生にも相談したそうです。
      また、「意見があれば遠慮せずに言いなさい」と言われていたので、杉野さんたちも意見を出して話し合い、最後には、各々の役割分担を決め、互いに助け合って実行したそうです。

    • 上表の「幹事」について、
      明治43年の創立当時から処女会員中から選ばれています。
      大正10年の改訂版には「幹事は幹事会を組織し、本会規則の変更、歳入出、予算その他重要事項を議決し、決算を認定し及び会長と相談する」と規定されており、選ばれた8人の女子はかなりの重責を担っていたことが分かります。

    • しかしながら、小林村長は「処女会の会長・副会長は会員から選出」しましたが、決して「桜村処女会」運営責任の丸投げではなく、彼自身は「総務」という最高責任者に就き、一歩引いた形で処女会を見守り、同時に明治43年の桜村処女会創立当時には無かった理事長と理事の役職を新たに設けて、桜小学校と村立実業補習学校女子部を兼任する女教員数名をこれに任命し、処女会員の身近な相談・補佐役にするという細かく温かい配慮をしています。