君ヶ嶽重五郎(きみがたけじゅうごろう)

 「君ヶ嶽五郎」、または「君ヶ嶽五郎」か?
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番付は多くの力士を縦長に記載する関係で、「蔵」を「三」、「助」を「介」などと簡易に書き、君ヶ嶽重五郎の場合も「君ヶ嶽五郎」と書かれることが多かったようですが、後述の彼の墓石にも刻まれ、また坂倉家の過去帳にも記載されているので、「君ヶ嶽五郎」がよいと考えられます。
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「君ヶ嶽五郎」と書かれた巡業番付
明治11年7月の境川・浦風一行の巡業番付には、興行場所は不明ですが、二段目東3枚目に「君ヶ嶽五郎」の名が記されています。

「君ヶ嶽重五郎」と記載された巡業番付(印が君ヶ嶽重五郎)
「勢イ力八」は、東前頭として「勢力八」の四股名で書かれています。
(以上、「相撲史跡研究会」の竹森章様に、番付掲載許可とご教示を賜りました)


        
【君ヶ嶽重五郎の履歴】
出身地 三重県四日市市智積町
本 名 坂倉
坂倉武治(たけはる)様の曾祖父坂倉武平様の弟
所属部屋 境川
初土俵 明治元年11月場所序の口
最終場所 明治13年5月場所
没年 明治13年11月5日、地方興行中桑名駅で急死。
入幕を目の前にして22歳の若さで夭折しました。


   【君ヶ嶽重五郎の相撲歴】
年 月 番付上の地位 四 股 名
明治 1年 11月 西 序の口 三滝川市五郎



明治 2年 3月 西 序二段
11 月 西 序二段
    3年  3月 西 序二段
       11月 西 三段目 三滝川十吉


    4年  3月 西 三段目
       11月 西 三段目
    5年  3月 西 三段目 三滝川十蔵



       11月 西 三段目
    6年  4月 西 三段目
       11月 西 二段目
    7年  2月 西 二段目 君ヶ嶽十五郎



       12月 西 二段目
    8年  4月 出場せず
       12月 番付外
    9年  4月 西 二段目 君ヶ嶽重蔵



    10年  1月 西 二段目
       5月 西 二段目
       12月 西 二段目
    11年  5月 西 二段目 きミヶ嶽十五郎


    12年  1月 西 二段目
       6月 西 二段目
    13年  1月 西 二段目 君ヶ嶽十五郎

       5月 西 二段目



【君ヶ嶽重五郎の墓石】

場所:   四日市市桜台一丁目、智積町霊園内。
墓石表: 「南無阿弥陀佛」
  同右: 明治13年11月6日
  同裏: 「俗名 君ヶ嶽五郎」
  同左: 法名 釋圓融

 君ヶ嶽重五郎は生前、東京で自分の墓石を造り、故郷へ送り届けていました。(当時、そういう事が力士仲間で流行っていたらしいと、坂倉武治様のお話です)

【君ヶ嶽重五郎の弓】

 君ヶ嶽重五郎の遺品の「弓」は、坂倉武治様宅に大切に保存されています。

 今の相撲では、千秋楽に三役そろい踏みとして上位三番を取る力士が出場しますが、以前は下位の力士が取っていました。 弓を受けるのは大関として勝った力士に「大関に叶う」として与えられますから、君ヶ嶽も境川に代わって結びの一番を取り、弓を受けたのであろうと考えられます。(「相撲史跡研究会」の竹森章様にご教示賜りました)

君ヶ嶽重五郎の「弓」を持つ坂倉武治様




勢イ力八(いきおいりきはち)

 「勢イ力八」の場合も、「君ヶ嶽重五郎」と同様に、本人の意思あるいは番付の書き手の都合等によって四股名が変わりました。 前記した「巡業番付」には、東前頭で「勢 力八」と書かれています。
 ここでは、東京大相撲で最高位・前頭9枚目の時の四股名で、しかも一般的に相撲史等で用いられている四股名「勢イ力八」を使用します。

【勢イ力八の履歴】
出身地 三重県四日市市智積町
出典:『大相撲人物大事典』(ベースボール・マガジン社)
本 名 橋本力八
生没年不詳
所属部屋 境川
初土俵 明治6年4月場所序の口
十両昇進 明治11年5月場所
幕内昇進 明治17年1月場所、西前頭9枚目
明治17年5月場所、東前頭10枚目
明治18年1月場所、西前頭9枚目 (幕内最終場所)
最終場所 明治20年5月場所
最高位 前頭9枚目
幕内在位 3場所
幕内成績 4勝11敗
勝率 0.267


    【勢イ力八の相撲歴】
年 月 番付上の地位 四 股 名
明治 6年 4月 東 四段目31 勢 善吉

 12月 .
7年 2月 東 四段目31 勢 力八








  12月 東 四段目12
   8年 5月 東 四段目 3
   12月 東 四段目 6
 9年  5月 西 四段目28
  10年 1月 西 三段目15
      5月 西 三段目 1
12月 西 二段目14
  11年 6月 西 二段目 8 (二段目10枚以内は現在の十両のこと)









  12年  1月 東 二段目 1
  13年 1月 東 二段目 5
      5月 東 二段目 5
  14年 1月 東 二段目 3
      5月 東 二段目 1
  15年 1月 東 二段目 1
     5月 東 二段目 2
  16年 1月 西 二段目 1
      5月 西 二段目 2
  17年 1月 西 前頭  9 勢イ 力八 入幕


    5月 東 前頭 10
  18年 1月 西 前頭  9
    5月 東 二段目 1 勢 力八





 19年 1月 東 二段目 2
5月 東 二段目 4
20年 1月 東 二段目 4
5月 東 二段目 7


勢イ力八(いきおいりきはち)
勢イ力八の錦絵
(出典:『西勝精舎聞書抄』山田教雄著)



【勢イ力八について】
 「勢イ力八」は、「郷土出身の力士」か、あるいは単に「郷土ゆかりの力士」か、2002年の調査の時点では判然としませんでした。
 「君ヶ嶽重五郎」の場合は、坂倉家のご子孫が四日市市智積町に居住され、”君ヶ嶽重五郎自身が生前に誂えたという立派な墓石”が大切にお守りされていることから、確実に「郷土出身の力士」と分かります。
 しかし「勢イ力八」の場合は、「勢イ力八のこぼれ話」は残っていたものの、当地に「橋本」という名字の家が無く、「墓石」も見当たらず、誰も知らず、確認の手段がありませんでした。 
 しかし、『角觝金剛傳』の「勢い力八と増位山浪五郎」の記事を「相撲史跡研究会」の森國弘様からご提供いただいたのをきっかけとして再考致しました。
(『角觝金剛傳』は「4.奉納相撲の「巡業番付」発見!」の、「勢イ力八と増位山浪五郎」の項目参照)
  1. 『角觝金剛傳』(発行年:明治18年、発行所:大黒屋。編集:松本平吉、8代式守伊之助、15代木村庄之助)と、『大相撲人物大事典』(発行所:ベースボールマガジン社。2001年4月30日発行)は、勢イ力八の出身地を四日市市智積町としていること。
  2. 私たちの郷土では、勢イ力八を「気が優しくて力持ちのおすもうさん」として語り継いできました。(「勢イ力八こぼれ話」参照)
  3. 地元資料(西勝寺所蔵)の「明治10年10月、相撲興行止宿人員記」に、君ヶ嶽重五郎と勢イ力八の四股名が無いのは、両名が実家で泊まったからではないかと考えられること。
  4. 同じく地元資料(西勝寺所蔵)に、「君ヶ嶽十五郎の追善供養」で、勢イ力八が願主であったと記されていること。
 以上から、『角觝金剛傳』は、明治18年(1885年)発行され、勢イ力八が活躍した時代と同時代の書籍であり信憑性が非常に高いこと、及び他の項目も考え合わせ、勢イ力八は「智積村出身の力士」として間違いないと考察しました。
 

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