四日市市桜町南 佐野師光氏 特別寄稿
2005年10月22日掲載


  山之神は、本来農業用水の水源地を守るために祀られたものと思われます。 普通は大山ズミ命が祭神である。 当地区でも桜一色の壮岡山(地蔵さん)ほか七ヵ所の山之神石躰の祭神は大山祇の神であるが、山上・斧研・西の平の山之神石躰は左の掛軸の二神が祀られていました。

 現在これらの山之神は総て椿岸神社に合祀されています。 この二神は道の神様であり、京都の街では辻の何ヵ所かに祀られ、その場所では今もこの道アエの祭が行われています。 当地区では、山上・斧研・西の平のみ、この道の神を山之神として祀り、悪い神が地域に侵入しないように祈り、その上、用水の安定供給を願ったものと思われます。

 山之神の掛軸は、明治初期に伊勢神宮を尊崇する神宮教という宗教が創始され、会所に神宮教・桜分教会所(桜南公会所にあった)が創立された明治十年代に、神宮教本院より各組に贈られたものです。 又同時に分教会所には天照大神の掛軸が贈られ、現在も掛けられています。

 昭和十八年までは毎年十二月六日が山之神の祭日で、この掛軸を宿の家の床の間に掛け、お供物をして餅をき組内の家族全員が集まって盛大に祝ったものでした。 その後戦局の悪化で食糧が極度に不足して中止され、今日に至っています。

 なお、同掛軸は斧研には残存しないが、桜南に11本、山上に6本、計17本が確認されています。


     平成六年九月吉日
                            佐野 師光

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