四日市市桜地区の位置と概略




三重県 面積:5,777.17km² (平成19年10月1日)
 14市15町 29自治体 (平成18年1月10日以降)
明治4年(1871) 現三重県域は、北半分が安濃津県、南半分が度会県の二県に定められる。
明治5年(1872)
安濃津県の県庁を安濃津郡津から三重郡四日市へ移転。このとき県名は県庁所在地の名をとる原則に従い、「三重県」が県名となる。
明治6年(1873) 再度、県庁を四日市から津に戻したが、県名は改称されなかった。
明治9年(1876) 三重県と度会県の両県が合併して、現在の三重県が成立。
三重県の人口→1,815,865人(国勢調査平成27年(2015年)
               (平成22年国勢調査に比べ38,859人減少(2.1%減)
  令和2年9月1日現在→1,768,632人(男 864,215人 女 904,417人)

四日市市 面積:205.53km²
平成17年2月7日楠町合併につき、旧四日市23地区+楠町=24地区となる。
文明5年(1473) 「四ヶ市庭浦」(出典:外宮庁宣案)の記述があり、この頃既に「四日市」の定期市が立ち、土地名の由来となる。
明治22年(1889) 町制施行により、四日市は浜田村・浜一色村とに末永・赤堀・芝田・久保田村の各一部を加え、新「三重郡四日市町」発足。(当時の人口15,483人) (明治21年、明治の大合併:市制・町村制施行)
明治30年(1897) 市制施行により「四日市市」誕生。全国45番目の市となり、以来港と工業を中心に順調に発展。
昭和5年(1930) 徐々に周辺の町村を併合し始める。
昭和28~31年 市町村合併法に伴い、更に合併を続けた。(昭和の大合併)
平成17年(2005) 2月7日、四日市市と三重郡楠町が合併し、新「四日市市」がスタート。(平成の大合併) 人口30万人を超えたが中核市移行は断念。現在特例市に指定されている。
平成17年3月1日現在・・・四日市市の人口→309,998人このうち楠町の人口→11,420人
四日市市の人口→312,182人(平成27年10月1日国勢調査結果)
   令和3年2月1日現在→311,244人
  (男156,171人、女155,073人、世帯数141,916世帯)

桜地区 面積:12.02km²
江戸時代末まで 佐倉村と桜一色村は「津藩領」、智積村は「天領と有馬藩領の相領」であった。
明治初期 現桜地区は、伊勢国三重郡同佐倉村、同桜一色村、同智積村の三村であった。
明治5年(1872) 現桜地区(佐倉村、桜一色村、智積村)は三重県三重郡となる。
明治8年(1875) 佐倉村と桜一色村が合併して「桜村」となる。「智積村」はそのまま。
明治22年(1889) 桜村と智積村が合併して「桜村」となり、桜村大字桜、桜村大字智積となる。 (当時の人口2,473人)
(明治の大合併・・・明治21年 内務大臣訓令第352号)に基づき、約300~500戸を標準規模として行われた町村合併。行財政機能を充実し、近代的な地方自治制度を導入するために実施された
昭和29年(1954)
三重郡桜村は四日市市に合併する。この時、四日市市桜町と四日市市智積町の二町に分かれる。(二町合わせて人口・・・3,140人)
(昭和の大合併・・・昭和28年の町村合併促進法により、新制中学校が合理的に運営できる人口規模として、約8000人を標準とした町村合併)
昭和44年(1969)
これ以降、桜地区内の南方丘陵地で宅地開発が進む。順次「桜台」、「桜ヶ丘」、「桜花台」、「桜新町」が造成され桜地区の人口は増大する。
桜地区の人口→14,585(2021年(令和3)2月1日現在)
 (世帯数:6,008世帯、男:7,068人、女7,515人)

 桜地区の面積(12.02k㎡)、人口密度(1,213,2人/k㎡)、一世帯人口(2.53人/世帯)
桜地区通称別人口 (2021年(令和3)2月1日現在)
智積町  1878人
  世帯数ー843
桜町南  1296人
  世帯数ー507
桜町西 671人
 世帯数ー266
桜町北 1356人
 世帯数ー534
桜ヶ丘 476人
 世帯数ー193
桜台一丁目 1523人
  世帯数ー617
桜台二丁目 2557人
  世帯数ー1107
桜台三丁目 293
 世帯数ー123
桜台本町 513人
 世帯数ー219
桜花台一丁目 1555
  世帯数ー621
桜花台二丁目 1053
  世帯数ー425
桜新町一丁目 684人
  世帯数ー259
桜新町二丁目  730人
  世帯数ー281