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「釣谷林道の説明板と石碑」の地図  
「ミルクロード」と「坊主尾道」の交差点「桜中学校北」の信号機から、「釣谷林道の説明板と石碑」まで約2.3Kmです。 現在は「釣谷林道」ではなく、元来の「坊主尾道」と呼称されています。

(「四日市市GIS地図情報」に文字等加工挿入。文責・eitaki)

 この道が釣谷林道です。勿論、往時は舗装されていませんでした。
 道路右手の草むらの中に説明板が建っています。
 この釣谷林道は、三重県環境学習情報センター方面へ続いています。
説明板の横に「釣谷林道」の石標が建っています。


昭和10年頃から15年にかけて「紀元2600年事業」が全国各地で行われた
  • 昭和15(1940年)は、初代天皇・神武天皇が橿原(かしはら。奈良県橿原市畝傍山(うねびやま)の東麓)で初めて即位したといわれる年を紀元元年として、紀元二千六百年にあたるため、11月10日から14日まで各地で奉祝行事がくりひろげられました。
    この奉祝典は、長期戦下に鬱屈(うっくつ)した国民の気分一転をはかるとともに、不合理な建国神話を信じこませて、国民を超国家主義・天皇主義のもとに統合し、本格化する戦争体制への動員をはかるためのものであった。(出典『国史辞典』吉川弘文館』)
    1940年11月10日、政府主催の記念式典が宮城前広場で行われた。この日から、14日まで各地で奉祝会が開催され、天皇への忠誠と国威発揚・戦争完遂の決意が改めて強調された。(出典・『日本史辞典』岩波書店)

桜村の「紀元2600年事業」・・・(1) 釣谷林道建設
  • 皇紀2600年記念行事として、桜村青年団団長の石川匡(ただす)氏(当時の石川病院の医師)の指導の下で、昭和10〜12年の三年間のうち、冬期の農作業の手が空く時節を利用して青年団員が勤労奉仕で、「幹谷(いんだに)公会所」前の交差点から、富士見峠(現・三重県環境学習情報センター付近)までの細く狭かった山裾の道を、道路拡幅整備工事をして、荷車やリヤカーが通れるようにしました。

  • 昭和10年当時、この石碑の立っている辺りの山から西方の富士見峠付近の山一帯は、明治後期から大正時代にかけて村長であった小林繁太郎氏の熱意によって植林された樹木が成長し、丁度、その間伐材を切り出す時期となっていました。
    そこで、間伐材を荷車で運び降ろすための「林道建設」が、桜村青年団の紀元2600年事業として企画されました。

  • 当時はブルドーザーなどは勿論無く、青年団員が手に手にツルハシ、スコップ、鋸(ノコギリ)を持っての手作業で、農作業の手の空く冬場に3年間をかける難事業でした。
    当時、青年達の唯一の楽しみは、作業の合間に焚き火をしながら、団長からの差し入れの”せんべい”を食べる事だったそうです。

  • 桜村青年団のこの事業は、昭和15年(1940)に伊勢神宮で開催された「全国記念事業報告大会」で報告されました。
    説明板の横の『石碑』は、その事を記念して建てられました。
     釣谷林道の石碑
     碑表: 皇紀二千六百年記念
    勤労報国  釣谷林道  櫻村青年団
     碑陰: 昭和十五年二月十一日 建之


桜村の「紀元2600年事業」・・・(2)「小学校の運動場拡張工事」
  • 「櫻尋常高等小学校」の運動場の拡張
    昭和14年(1939)、翌年に控えた皇紀2600年式典の記念行事として、「櫻尋常高等小学校」の運動場の拡張を実施した。
    昭和14年2月着工、8月完成。
    拡張面積787.5坪(約2,603.3平方メートル)

桜村の「紀元2600年事業」・・・(3)「皇紀二千六百年記念碑」
  • 旧桜地区市民センターの前庭に「皇紀二千六百年記念碑」が在りました。
    同碑は、昭和15年2月11日に建立され、以後約68年間同地に在りましたが、平成20年12月に坂井歯科様宅地に移設されました。
    その後、同跡地は桜駐在所となりました。(桜町1259-2)
    同石碑の詳細は、「石碑いろいろ」のページの「皇紀二千六百年記念碑」をご参照ください。


「小林繁太郎村長の彰功碑」について
   
   

 桜村の紀元2600年事業である「釣谷林道建設工事」は、既述したように昭和10年〜12年の冬場に行われましたが、残念ながら当時の様子を伝える記念写真は在りません。
 代わりに、昭和の戦争当時の「桜村青年団の活動を伝える写真」として、下記の写真を掲載します。
 (当時の青年団員や大人や子供の服装、畑を耕す牛等など興味深い情報が満載です)


当時、出征兵士の留守家族や戦死兵士の遺族への援助は、「兵士が向後の憂い無しに出征できるようにする為の政府指導」の一つでした。
  • 山本久郎君の留守家族への「勤労奉仕」の写真
    下記の写真は、同時代の青年団の活動を伝える「山本久郎君の留守家族への勤労奉仕」の写真です。
    昭和13年(1938)当時、出征した山本久郎君は未だ独身だったので、お母様だけが一人家に残りました。
    (お父様は既に死亡されており、久郎君のお姉様は他家へ嫁がれていました)
    一人で苦労している山本久郎君のお母様の様子を見て、昭和13年11月24日、「青年団勤労奉仕隊」が耕作の手伝いをした時の写真です。

「勤労奉仕隊 三重郡桜村青年団」・・・「旗の文字」
「山本久郎君留守宅勤労奉仕 桜青年 昭和13.11.24」・・・「写真右下の白文字」 
 
謝辞:智積町の坂倉様と小林様には、2007年11月25日桜小学校で開催された「文化祭」にて、上記写真の解説と人名等をご教示頂きました。誠に有難うございました。】


桜村の婦人会員や女子青年団員たちも、「青年団員」と同様に様々な援助の手を差し伸べていました。
 「戦争体験記、桜村女性273人のアンケート調査結果」の、「7.出征兵士の留守家族や戦死兵士の遺族への援助」もご覧ください。 
 同時に、桜村の女性たちの戦時体験なども合わせてご覧下さい。
 昭和の戦争、男も女も皆戦いました。


                   ー以上ー
参考文献:『国史大辞典』吉川弘文館、『日本史辞典』岩波書店、『桜小学校の百年』桜小創立百周年記念事業実行委員会  2000年5月掲載、2019年10月30日更新  文責・永瀧洋子