@釣谷林道(つりたにりんどう)説明板集@へ

 この道が釣谷林道です。勿論、往時は舗装されていませんでした。
 道路右手に説明板が建っています。
 この釣谷林道は、今では鈴鹿山麓研究学園都市方面へ続いています。
説明板の横に「釣谷林道」と彫られた石標が建っています。



 昭和10年から12年頃、紀元2600年事業が全国各地で行われました。
 ここ桜地区においても、桜村青年団が、団長の石川匡氏(当時の石川病院の医師)を中心に、勤労奉仕で、乾谷と巡検街道(国道306号)の交差点から、巡礼道までの狭い山裾の道を拡幅整備して、荷車やリヤカーが通れるようにしました。

 昭和10年当時、この石碑の立っている辺りの山には、明治後期から大正時代にかけて村長であった小林繁太郎の熱意によって植林された樹木が成長し、丁度、その間伐材を切り出す時期となっていました。
 そこで、間伐材を荷車で運び降ろすための林道建設が、桜村青年団の紀元2600年事業として企画されたわけです。
 当時はブルドーザーなどは勿論無く、青年団員が手に手にツルハシ、スコップ、鋸を持っての手作業で、農作業の手の空く冬場に3年間をかける難事業でした。
 当時、青年達の唯一の楽しみは、作業の合間に焚き火をしながら、団長からの差し入れのせんべいを食べる事でした。

 桜村青年団のこの事業は、昭和15年に伊勢神宮で開催された「全国記念事業報告大会」で報告されました。
 説明板の横の石標は、それを記念して建てられました。


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