ban_hachiman 「桜の史跡」NO.7      説明板集Fへ          
(はちまんじんじゃとやまのかみ)
(桜町西区山上(やまじょう)

「八幡神社」
「教尊法師の碑」の西隣にあります。
 昔、山上(やまじょう)一帯には桜の木が多かったので、桜岡と呼ばれ、創立年は分かりませんが、「桜岡神社」がありました。
祭神:誉田別天皇(ほむたわけてんのう。応神天皇)。
    境内には稲荷社もありました。

 明治42年、政府の一村一社の方針により、桜岡神社は他の神社と共に椿岸神社に合祀されましたがそれ以後も、内社殿は残してあったので、祭日には幟(のぼり)も立て屋形提灯を飾って昔を偲んでいたそうです。
そして、敗戦後の昭和22年、山上の有志によって、八幡神社として再建されました。

祭日: 1月1日と8月15日
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田の神・山の神説
 昔から農村では、「春になると山から里に降って田の神となり、秋の収穫が終わると再度山に帰って山の神になる」と信じられ、田の神や山の神に変わられる日(2月と10月)に山神祭を行うところが多かったといわれています。

神々の出雲集合説
 10月は全国の神々が出雲に集まり、里の神が不在になるので10月を神無月といい、山の神が出雲へ出発される日、あるいは出雲からお帰りになる日に、山神祭をするという説もあります。

収穫を喜ぶ
 農村で行われてきた年中行事は、すべて農耕生活を基盤として生まれ、例えば「田植」と「稲刈り」は農作業の「始まり」と「終り」で、元来神聖なものとされてきました。「山の神」もそのような農耕の節々の行事の一つとして、「山の神にその年の収穫を感謝しながら、季節のものを供え神霊の守護を祈る」という民間信仰から始まって、次第に農民自身の休養(骨休め)となり、年中行事となって受け継がれてきました。

桜地区の「山の神」

 「田の神・山の神」説や「神々の出雲集合」説に、村中あるいは組中の老若男女、一家総出で「収穫を喜ぶ」というリクリエーション的な要素が混合されて、旧暦の10月に当る12月上旬に「山の神」のお祭が行われてきたと考えられています。

八幡神社境内の西端に、
ひっそりと鎮座する「山の神」

山上では 昔、山の神の当日には、各組の「宿(やど)」の床の間には掛け軸が飾られ、お神酒や鏡餅が供えられて、無礼講の会食と歓談が夜の更けるまで続いたそうです。
しかし、この山の神行事も、食糧事情、社会情勢の変化などに伴い、現在では、組単位内の親睦を主目的として料理屋で会食をするように変化してきました。 また、組によってはそれさえも行われなくなり、「山の神」に対する素朴な信仰は、徐々に忘れ去られようとしています。
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祭神: 八衢彦命(やちまたひこのみこと)
     八衢姫命(やちまたひめのみこと)
祭日: 毎年12月6日
                       (2000年5月調査)

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