L番外椿岸神社 (延喜式内社)     説明板集L番外へ
          (「椿岸神社」は史跡ではありませんが、境内社の「史跡NO.13椿岸稲荷神社」に因む掲載です)   
(旧)椿岸(つばきぎし)神社外観  椿岸神社外観
撮影:2009年4月5日(日)幣拝殿竣功奉祝祭

神紋:
左三巴(ひだりみつどもえ)

巴紋は水が渦巻く様子を形にしたもので、火除けのまじないとされる。
椿岸神社獅子舞のページの獅子胴幕をご覧ください)
鎮座地: 四日市市智積町684番地 (三重郡智積村字御所垣内)
祭神: 天受賣受命(あまのうずめのみこと)、猿田彦大神、天照大御神。
蒼稲魂命(うかのみたまのかみ)、譽田別尊(ほんだわけのみこと。応神天皇)
市杵嶋姫神(いちきしまひめのかみ)、木花開耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)
八衢比古神(やちまたひこのかみ)、八衢比盗_(やちまたひめのかみ)
大山神祗命(おおやまずみのみこと)
創立: 創立年不詳。
椿岸神社の社伝には、740年(天平12)頃、現・桜町西区字椿尾に創建とある。
927年に完成した「延喜式」に椿岸神社の名が記されています。

延喜式内社とは:
延喜式は、平安中期の延喜年間(901〜923年)に醍醐天皇の命で編纂された律令の施行細則で、平安初期の禁中の年中儀式や制度などの事を漢文で記す。50巻。 927年完成、967年施行。
延喜式の巻九、十は延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)で、ここに記載された神社を延喜式内社または式内社という。
延喜式神名帳の伊勢国三重郡の条に記された神社は6社あり、「椿岸神社」はその一社です。

 三重郡六座
   江田(エタノ)神社、 加富(カフノ)神社、 神前(カムサキノ)神社、
   小許曽神社、    足見田神社、    椿岸(ツハキキシノ)神社
由緒 『明治17年調伊勢國三重郡智積村地誌』には次のように記されています。
祭神は、猿田彦大神、天受賣受命(天鈿女命)、天照大御神の三座を祭る。
天文年中(1532〜55年)、兵火に罹る。
三嶽寺鎮守獅子御頭(永正六年(1509)中、冠宝山三嶽寺住権僧都覚信作)を之に遷す。
祭日は、明治6年の改暦以降、2月10日、9月10日、11月16日と改める。
往古、桜村地内字椿尾(現・桜町西区字椿尾、現在の社地から約4q西方)に鎮座して奥七郷の総社であった。
享禄2年(1529)、兵火の為に灰燼となる。
人々嘆き悲しんで、永禄3年(1560年)に智積の邑内(現在地)に起工を企て、新たに椿尾の神社を此処に移し、旧地名を追いて椿岸神社と名づく。(『勢陽五鈴遺響』及び口碑)
 (注:七郷は、智積、佐倉、桜一色、森、赤水、海老原、平尾をいう)
宝物 獅子頭
『四日市市史第4巻』には、獅子頭の舌の裏面の墨書銘に
「冠峯山権大僧都法印 覚信、願主三郎四郎、永正六年己巳卯月廿一日」と記されています。(永正6年は1509年

 詳細は「椿岸神社の獅子舞」ページの「獅子頭」をご参照ください。


獅子舞:
平成4年、椿岸神社の獅子舞は四日市市指定無形民俗文化財に指定されました。


明治時代の神社合祀
  • 明治39年(1906)頃から大正時代前半にかけて、政府の指導により一町村一社の方針で、町村内の各地に鎮座していた神社を一ヶ所に集める神社合祀が全国で行われました。
    この政策は、神国として伊勢神宮を中心とした神社体制を整えること、また合祀することによって神社の氏子区域と行政区域を一致させ、神社を地域活動の中心にさせることで、村人の団結を図り、支配体制を確たるものにすることにありました。

  • 桜地区では、明治40年から42年にかけて、村内の全ての神社と山の神までもが椿岸神社に合祀されました。近郷でも最も徹底した神社合祀をした村として知られています。
    【椿岸神社に合祀された神社】
    須佐社(智積字御所垣内)、浅間社(智積字一生吹)、桜神社(桜村字南垣内)、桜神社(桜村字武佐)と同境内社・浅間社、幸田神社(桜村字南垣内)、桜岡神社(桜村字山上垣内)と同境内社・稲荷社、稲荷社(桜村字砂子谷)、大谷神社(桜村字大谷)、稚瑳良神社(わかさくらじんじゃ。桜村字猪之峡)、そのほかに桜地区内各地の「山神」も10体合祀されました。

  • 昭和21年、国家神道廃止によって信仰の自由が保障されました。
    • 合祀された神社のうち桜岡社は、昭和22年、山上の有志によって「八幡神社」と名を変えて再建されました。
    • 浅間神社は、昭和3年、信貴山より毘沙門天が勧請され「一生吹山毘沙門天王社」として既に再建されていました。
    • 幸田神社は、昭和35年に「椿岸稲荷神社」として椿岸神社本殿の東側に再建されました。
    • 大谷社は、昭和61年乾谷公会所の新築に伴い、公会所西側に山の神とともに遷座されました。
    • 他の山の神もその御神霊が戻ったと人々によって受け止められ、再び素朴な信仰対象として各々祀られています。但し、智積の山の神二体は引き続き椿岸神社の社殿内に鎮座しています。
                                           (文責:永瀧 洋子)
参考文献:『三重県神社誌】(三重県神社庁)、『式内社調査報告』(皇學館大学)、『明治17年調伊勢國三重郡智積村地誌』、
『七郷の総社椿岸神社の歴史と氏子の関係』(椿岸神社社務所発行)、(『椿大神社二千年史』資料・椿岸神社縁起)


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